けろけろの考えごと

無駄な思考もいつかは再利用できると信じて

25歳の境界線

「もう自分は25歳の年なの。でも三十路だって言いたくないよ」

 

「もう若くないんだから。アラサーになっちゃうんだから」

 

「二十歳が凄く若く見えるよ」

 

自分の周りでは、もう年だ年だと騒ぐ人でいっぱいだ。

表題にあるように、自分たちはもう25歳になった。

院で修士や博士に行く人以外はみんなもう働いている歳だ。

大卒だと社会人3年目、中卒で働く知り合いはほぼ9年目だという。

つい最近まで学生割が効いて、とにかく酒を飲んで朝までカラオケオールするような、世の中の流行をつくる世代ど真ん中にいた。

だが、25歳になった途端、みんな口を揃えて

 

「もうアラサーだ」

 

と悲壮感漂わせながら言う。

確かにそう語る君らの背中は、10代からおじさんと言われるような30代といっても過言ではないだろう。(半ギレ)

 

自分は25歳になって、初めてアラサーのくくりに入ることを知った。

てっきり30代をアラサーと呼ぶのかと思っていた。

だが、世の中は手厳しい。

生まれてから四半世紀も経てば「アラウンドサーティー」のくくりに入れてしまうらしい。

まだ20代でありながら「トゥエンティ」の名を奪ってしまうのだ。

なぜ20代は10年もあるのに、5年も生きれば「サーティー」の名のつく呼び名(蔑称)を名乗らなければならないのか。

そんな生き急いでどうするのだ。

自分は、自分自身を「アラサー」とは決して言わない。

言葉には言霊というものがあるように、自分を蔑むと本当にそのような姿になってしまう。

だから自分を「サーティー」と呼ぶ気はさらさらない。

そもそも産業革命以降、精神年齢的に青年期は徐々に伸びている。

いまや30歳ですらまだまだお子ちゃまなのだ。

また知能でも名前を覚える能力のピークは30歳ごろだ、

そうであるならば25歳なんて20歳と(ほぼ)違いなんて無い。

社会人になって社会の常識や落ち着きを持った’大人’として敬ってほしいくらいだ。

そんな25歳を「アラサー」だなんて…

「アラサー」なんて言葉をつくったのは一体誰なんだ。悪魔か。

 

おじさんが必死こいて若者ぶってるよ…w

 

と思った君。

罰当たるよ。