初カキコ・・・ ども・・・
俺みたいに20少しで青春ゾンビしてる腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは、
今日の講義室の会話、
あの居酒屋の酒飲みたい とか あのシュプリームの服ほしい とか、
ま、それが普通ですわな、
かたや俺は電子の砂漠で下手な踊りをしてる女子高生を見て、呟くんすわ、
it' a Tik Tok. 狂ってる?それ、ショート音楽動画コニュニティね。
昨今は青春ゾンビとやらの言葉がはやっているらしい。
青春ゾンビとはなにか。
簡単に言えば、もう来ることもないあの頃の青春、もしくは訪れることの無かったフィクションである青春を求めているゾンビたちのことを言う。らしい。合ってる?
私が青春ゾンビという言葉を知ったのはこのツイートを見たからだった。
まだ「間に合う」年代の頃から青春ゾンビと化すのは確かにアレだけど、間に合うとか間に合わないとかじゃなくて「ない」んだから仕方ない。
— すばらしい人生 (@verygoodreality) 2019年4月25日
このツイートを見て、青春ゾンビとはどういう意味なのか瞬時に理解して笑ったが、すぐに真顔に戻った。
なぜならこれは未来の自分の姿なのではないかと恐れおののいたからだ。
というよりも今の自分は青春ゾンビ予備軍、青春ゾンビウイルス体内潜伏期間といっても過言ではない。
正直私の高校生活は青春と言えるものだったと思う。
部活は3年間やり通し恋人だっていた。
どこからどうみても「ない」青春ではないことは確かだ。
青春だった。私が高校3年間で送ったのはまさに青春だった。
しかし、今の自分は求めている。
「ない」ことはない青春、過去に送った青春ではなく、青春を送った自分では切り開くことができなかった見たことの「ない」青春を求めている。
これはある意味わがままなことである。
「ない」青春を追いかけている青春ゾンビの諸君からみれば、これはとてもわがままで傲慢で自分勝手である。
「ない袖は振れないって言うじゃないですか。でも毎晩インターネットでは中年男性がない青春を思い出してるんですよ。それっておもしれぇなぁって思って」
— すばらしい人生 (@verygoodreality) 2019年4月25日
もちろんドラマや映画、アニメで見た青春物語に憧れたわけではない。それこそ「ない」青春である。
だが、なぜ青春を送った私が青春ゾンビになってしまったのか。
それは大人というフェーズへ移行することから逃れたいがために、青春ゾンビとなってしまったのではないかと、脳が腐り始めたゾンビながらに思うのである。
青春とは18歳までの特権である。私はそう断言する。
酒が絡んでしまったらそれは青春ではない。もっと言えば酒の味を覚えてしまったら青春は消えていくのだ。
酒の味を覚えてしまったら次に襲ってくるのは大人という秩序だ。
大人になるまでの移行はノンストップで、遅らせることはできても止めることはできない。ましてや後退することも絶対に不可能だ。
たとえTinderやタップル、Tik Tokに逃げ込んでも意味はない。そこに一緒に青春を送りたかった異性がいたとしても、もうそれは「ない」青春なのだ。
大人というフェーズへ移行するのを恐れて過去の青春の残り汁をすすりながらさまよう青春ゾンビ。
それが私の正体。そう言えるのではないか。