僕は自動車の免許を持っていない。
でも、友人らの車で色々な所へと連れて行ってもらった。
高校を卒業して多くの友人らが免許を取得したばかりの頃は、夜遅くに何をするでもなく、足繁く秩父方面の展望スポットや、レインボーブリッジを通ってお台場へと連れて行ってくれた。
行き先までの道中は、基本的に運転手である友人のスマホから車載のスピーカーへと繋いで音楽を流していた。
だから毎回(行く場所は毎回同じなのに)車内で流れる音楽は、運転手である友人たちごとに違ってくる。
そのなかでも3つの音楽はとても印象深く頭に残っている。
僕の友人の中で一番最初に免許を取った友人は、免許取得後すぐに親に借金をして中古のホンダ・オデッセイを購入した。
彼は高3の夏休みに免許を取得したため、部活を引退したばかりで体力が有り余っている地元の友人らを乗せて、よく夜景がきれいな山の上へと連れていってくれた。
オデッセイで連れていかれるのはいつも日が暮れてからで、そして車内で流れるのはいつも湘南乃風だった。
湘南乃風の曲を流し、皆身振り手振り交えて熱唱するのがとても楽しく、どれほど夜遅くても眠気はいとも簡単に吹き飛んでくれる。
でも、アゲアゲでハイテンションな曲がいくつか続くと、さすがに疲れてくる。
そんなときに、車通りが少なくなったバイパスを高速で走り抜けながら流す「湾岸highway」はとても気持ちのいい曲だった。
ピアノとパーカッションの軽快なメロディーから、HAN-KUNの歌声がスッと入ってくるのが良い。
歌い疲れて背にもたれかかっていても、自然とサビの部分は歌い出してしまう。
首都高湾岸線で観られる綺麗な夜景でなくとも、バイパス道路の左右に立つオレンジ色に道路を照らしてくれる街灯が、とても綺麗に見えてくる。
よくキャンプや温泉へと連れて行ってくれた別の友人は、とにかく白くてデカいが一番の印象だったトヨタのランドクルーザーを所有していた。
いつも後ろのスペースはキャンプ用具で埋まっていて、まさにアウトドア派な彼だったが、適当に車を駐車場に停めて人生観や恋愛について語り合うのも好きな人だった。
だから彼が流す音楽は、いつも会話を邪魔しない程度の音量で、心地良い気持ちに浸れるものが多かった。
ある夏の日の夜にご飯に誘ってくれた彼はいつもの車で家まで迎えに来てくれて、国家試験浪人中であった地元の友人も一緒に乗せていた。
3人でご飯を食べたあと、運転手の彼は適当に車を走らせながら、またいつもの流れで将来のことや、共通の過去の思い出話などを語り合った。
車を地元の駐車場に停めて暗い車内の中、ふと会話が途切れたときに、かりゆし58の「オワリはじまり」が小さい音で流れだした。
もうすぐ今日が終わる
やり残したことはないかい
親友と語り合ったかい
燃えるような恋をしたかい
一生忘れないような出来事に出会えたかい
かけがいのない時間を胸に刻み込んだかい
まさに’今’を歌っているような曲だった。
今、このときのためにこの曲はあるんじゃないかと勘違いしてしまうタイミングだった。
旅立ちの時はいつだって少し怖いけど
これも希望のかたちだって
ちゃんと分かってる
学生である今、弱冠二十歳を越えたばかりの僕らは、将来を語るときはなにかと夢が大きい。
でも、その分あまり口に出さないだけで、不安もとてつもなく大きい。
浪人中の友人。働いて2年目の彼。将来の夢を大きく変え始めた自分。
僕らが大きな夢を語り合うのは、怖い気持ちを少しでも和らげるためにしているんじゃないかと、そのとき自分は思った。
忘れてしまっていないかい
残された日々の短さ
過ぎ行く時の早さを
一生なんて一瞬さ
命を燃やしているかい
まだまだ君たちは若いんだから。そう言ってくれる大人たちもたくさんいた。
だけど、だからって今を適当に過ごしたくはない。
命を燃やしたってすぐ尽きることはないんだ。
今からでも命を燃やして夢のために頑張ろう。
暗くて少し暑さがむしばむ車内で、みんなそう思っていたに違いなかった。
これは友人の車での話ではないが、3曲目の思い出は小学生のころまで遡る。
たしか自分はまだ小学3年生の頃、父の運転で兄と僕の3人で1泊のキャンプに出掛けた。
その頃は家に車が無く、レンタカーを借りて行っていたのだが、キャンプを終えて家にキャンプ用具を置いた後、まだ車を返却するまでに時間があるということで父は首都高ドライブに連れて行ってくれた。
もうだいぶ日が暮れていて、僕は後部座席で車に揺られるうちにいつの間にか寝てしまっていた。
ふと目が覚めると、右側の窓からは赤くオレンジ色に輝く大きな東京タワーが見えていた。
こんな間近で見たことがなかった。
ちょうどその時なのか、それとも都合よく記憶がそう繋いでいるのかはっきりと覚えていないが、首都高を走っていた車内には虎舞竜の「ロード」が流れていた。
当時の自分でも、東京の夜景を見ながら聴くロードはとても情緒的な気分にさせた。
気がつけばまた眠ってしまって、あっという間に家に到着していた。
まるで夢の断片図のような出来事は、それからの自分にとって夜の首都高をドライブしながらロードを聴くという些細な、でも絶対にやりたい夢の1つになった。
しかし、困ったことに今の自分には中型バイクの免許はあるものの、未だ普通自動車の免許は持っていない。
もし10年以上振りに同じ構図に出くわしたとき、そこから見える景色はどれほど違っているのか、想像するだけでも早く免許を取りたい気持ちを掻き立てる。