けろけろの考えごと

無駄な思考もいつかは再利用できると信じて

学生時代にコミュニケーション能力を身に着けないと詰む

社会の歯車となって早2年。

社会人ペーペーの私にも後輩というものも存在する。

数は少ないが、皆慣れない日々の業務に励んで取り組んでいることは目に見えて分かる。

とても期待はしている。

が、その中でも少し変わった子がいることも大きな組織というものだ。

どう変わっているかというと、端的に言うとコミュニケーション能力が足りないのだ。

ここでいうコミュニケーション能力とは、いわゆる他者と円滑に会話をし、相互の意思疎通が滞りなく出来ることを指そう。

また、彼自身とても変わった思考をしている(っぽい)。

月1で会社の若い者で集まって研修を行ったり、コロナが落ち着いていたころに業務後に会食をしたりしたが、彼の会話はよく明後日の方向を向いている。

いきなり会話の内容がすっ飛んで(サイレントで)別の話題に移っていたり、研修の課題発表が全くお題に沿っていなかったり、それらをみんなでツッコんで笑うことはできるがこれが業務でとなると話は別だ。

私のいるIT業界は技術職だからコミュニケーション能力が低い人も一定数存在するとは言う。

だが、お客のいう要望を聞き取り開発や修正に反映する、チーム内でお互いのタスクを確認しあうなど、日々他者と会話をする機会はたくさんある。

彼もまた技術職っぽい見た目をしているが、まだ社会人ペーペーの彼はまずは他者と円滑に会話をする能力が欲しい。いや、なくてはならない。

 

もう彼も社会人となり1年となる。

しかしなぜ彼はいまでも研修の課題の内容がぶっ飛んでいるのか、とても根本的な問題だが、そもそもコミュニケーション能力を学んでこなかったからだろう。

 

私個人の話だが、私はコミュニケーション能力はあるほうだと思う。

小学生の頃はとてもシャイな性格だったときもあったが、少年野球団に入りその後も野球を通して年の近い先輩後輩、そして大人との接し方を学び、学校という組織でも友人は多くできた。

学校という狭い空間で心地よく生活するために先生に対して媚も売ってきた。

その土台があったためか、今は直接的な先輩のいない環境でスムーズにお客とダイレクトで話しながら仕事が出来ている。

それではなぜ彼は円滑なコミュニケーションができないのか、

それは学生時代に年の違う人たちとあまり接してこなかったからだ。

彼は学生時代に大きな組織のようなものに所属してこなかった。

少なくとも友人はいるようだが、多数と遊ぶということは無いらしい。

どんな相手でも、どんな多数の人たちがいる中でも、そのときの話題に沿って円滑に会話を進めるという機会に遭遇してこなかったのだ。

そのまま社会人となっていざ業務の会話をしなさいといっても、それはとても酷なことは私にも分かる。

今行われている新人研修も、基本的な社会のマナーから組織というものの理解、そして自分自身や業務でのプレゼンテーションの練習をしたが、まず彼が取り組むべきことは会話のキャッチボールの練習だ。

しかし、そのようなことをマンツーマンで指導する会社などは存在しない。

業務で経験を積んで慣れろ。

そう多くの会社は突き付けてくる。

 

自分を売り込む仕方や外面の整い方は教えてくれる。

だが、基本的な会話は教えてくれない。

それはすでに身に着けていると前提だからだ。

彼を直接面倒見ている先輩は、彼の怖さを知っているからお客と一対一で会話させることをさせない。

つまり、業務でも学ぶ機会はもらえない。

そう、彼はもう詰んでいる。

教わる場が無いからだ。

といっても、まだ挽回できることはできる。

まだ世間知らずなことをしても許される。

怒られるかもしれないが、その後に教えてくれる人たちが回りにいる。

だから、詰んではいるけど、それを無理やりこじ開けて学ぶしか彼にはやり方が残されていない。

私はそれを見守ることしかできないが。