今日一日なにもしてないや、なんて思う日々を私たちは一体どれほど味わったことだろう。
時間は有限であるのに、ひたすらスマホをいじり続けとても無駄にした気分になる。
中高生のときの暇なときにただうだうだしていたような、後から思い返せばそれ自体が青春だったような眩いものではない。
我々は、私はもうそんな眩い時間の使い方はできなくて、なにもしてない日々を過ごすことは、周りからみればドロドロとした目も向けられない悲惨な姿に見えるのだろう。
気づけば自分はもうこんなに年を取り西暦も2021年を迎えてしまった。
あゝ、なんて無常なんだ。時間は皆に平等であるが故に、時間の使い方次次第でその人自身の魅力や知識は他者と大きく差別化を図ることができる。
私がこんな駄文を書いている間にあの人は勉強をしていて、あの人は筋トレをして身体を鍛え上げている。
あゝ、今日もなにもしていない。
そう思う日々がここ数年続いている。
もちろん今日もだ。
だが、今日したことを思い返してみよう。
起きて仕事してご飯食べて、アマプラでヒロアカを見てお風呂に入りはてブロを開いた。
やることしてるだろおおお!!!!
そう、実は思い返せばやることはしているのだ。
確かに今日なにもしてないな、と風呂上がりに思った。
だが、この「なにもしていない」とは実は翻訳してみると「やりたかったことができなかった」とのことであった。
では何をやりたかったのか。
まあそれは人それぞれだと思うが、例えば私の場合だと仕事に関する勉強をする、ブログを書く、本を読むなどなど。
まだ仕事に関してペーペーである私はプライベートでも勉強をしなくてはならない。(本音はお賃金が発生している業務時間内で勉強をさせてくれ)
また趣味であるブログも書いて書いて書きまくりたい。
そして積ん読している本も数冊あるために読まなくてはならない。
ぶつ森もしたい。PSPgoに入っているバイトヘル(ピエール瀧プロヂュースの神ゲーである)もしなければならない。
やることは山ほどあるのだ。
では、なぜやりたいことができなかったのか。
そう、他にもやりたいことがあったからだ。
私は本日なにをしたのか。
仕事してご飯をつくり、ヒロアカを観た。
そう、私はヒロアカが観たかったのだ。
ハイキュー!!を見終わってさて次何を観ようか探していたとき、ラウンドワンのスポッチャにある休憩室でたまたま読んだヒロアカ1巻が面白すぎてアニメが観たくなっていたのである。
つまり、私が今したかったことは「ヒロアカを観る」ことであった。
ヒロアカを観たいがために勉強とブログと本を放り投げてアマプラを開いた。それは確信犯的思考だったのであろう。
だから私は言う。
何もしていないと思うな。罪悪感を感じるな。なぜなら、何かしらしているからだ。