けろけろの考えごと

無駄な思考もいつかは再利用できると信じて

平成という消費されるコンテンツ

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平成生まれの私にとって、改元は人生で初めての大きなイベントだ。

2016年8月8日に、「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」という天皇陛下によるお気持ちの表明があった。

それにより、2019年4月30日に「退位礼正殿の儀」が行われ、平成の天皇陛下が退位される。

翌5月1日には「即位後朝見の儀」が行われ、今の皇太子殿下が即位される。

さらに10月22日には国内外に新たな天皇陛下が即位されたことを宣言する「即位礼正殿の儀」が行われる。

皇太子殿下が即位される5月1日は祝日になるため、祝日法の規定により4月27日から5月6日までの10日間が休日になる。

そのとき、私は一体どこでなにをしているのだろう。

私と同じように今年のゴールデンウイークをどう過ごすか考えている人に向けて、改元ツアーなどという旅行会社によるツアーパックでも組まれていたりするのだろうか。

ともかく、今年の改元に伴う10連休は、賛否両論はあるが、大きな経済波及効果を及ぼすものとみていいだろう。

 

 

世に溢れる「平成最後の○○」のフレーズ

 

いや、正確には改元による経済的な効果は、天皇陛下の退位と皇太子殿下が即位される前後の10連休のときだけではない。

既に、今まさに平成という元号を振りかざして、お金を動かそうとしている人々、企業はたくさんいるのだ。

彼らが使う代表的なフレーズといえば「平成最後の○○」だ。

このフレーズは、テレビでもネットでも街中でも多くのところで目にしたり、耳にしたりする。

おそらくこの記事を見ているあなたも何度も聞いたことあるフレーズだろう。

何度も耳にするものだから、私も友人との会話で使っていたり、世間の中では自然とありふれたフレーズと化している。

平成最後の夏。平成最後のクリスマス。平成最後の正月。

私はそれを頭の片隅に置きながら平成最後の日々を過ごした。かもしれない。

そして4月には平成最後のお花見が待っている。

 

商業の道具と化した「平成」

 

だが、よく考えると、「平成最後の○○」と口にできるのは、近代の日本史史上で初めての出来事ではないだろうか。

街中では、「平成最後の○○」と称して買い物客を呼び込もうとしている店舗で溢れている。

また、テレビをつければ、「平成最後の○○」をタイトルに挟み込み特番を組んで視聴者を増やそうとしている。

さらに、偶然にも「平成」と同じ字面をした地区があり、その名にあやかろうと観光客を呼び込もうとしている。

www.chunichi.co.jp

 

これほどまでにも元号と商業が結びついた例は、過去にも存在しなかったのではないのだろうか。

まさに元号改元が近づくにつれ、「平成」という時代、象徴が1つの商業コンテンツとして消費者によって消費されているといえよう。

 

天皇陛下崩御が伴わない改元

 

では、なぜ「平成」がこれほど商業コンテンツ化としているのか。

それは、改元天皇陛下崩御が、1つのコンビとして組み込まれないからだ。

これは平成の前の元号、「昭和」と比べれば分かるだろう。

先に断っておきたいが、私は昭和を生きていない。だから昭和から平成へと移り変わろうとしていたときを生きた人々と社会の雰囲気は、私は知らない。

全てはネットで拾った資料による意見になるが、そこは参考程度にとらえてほしい。

昭和の終わりについて調べると、昭和天皇は、1987年4月あたりから体調不良が顕著になり、1988年の9月半ばから容態が著しく悪くなった。そのあたりでマスコミによる昭和天皇のご容態に関する大きな報道があり、世間では自粛ムードの動きが広がった。と記載されている。

世間ではマスコミによる大きな報道を見て「そろそろ昭和が終わってしまう」と思った人も多いだろう。

しかし、そう思った人々が「せっかくだから昭和最後の○○をしよう」と軽く口に、行動に出来たのだろうか。

 

 

明治以降、皇室典範の規定により、改元がされるときは今上天皇崩御されたときだ。

昭和もその規定に従って、昭和天皇崩御されたとき、昭和から平成へと変わった。

しかし、今回の平成から次の元号へと変わる改元については、皇室典範特例法により一代限りで生前での退位が認められた。

そのおかげか、改元前後の日本社会の雰囲気は、昭和の頃に比べてはるかに明るいだろう。

あのNHK紅白歌合戦でも、司会者は笑顔で「平成最後の紅白歌合戦」と口にしていた。

昭和天皇のご容態が著しく悪かった1988年の紅白歌合戦で誰かが「昭和最後(になるかもしれない)の紅白歌合戦」とテレビの中で言えただろうか。

また、「昭和最後の○○」とフレーズを掲げて、商売ができただろうか。

上でも書いたように、30年前は昭和から次の元号改元が迫っていく中で、社会では自粛ムードが広がっていたのだ。

おそらく、というよりも絶対できなかっただろう。

友人同士やご近所同士では話せたかもしれない。

しかし、それを企業や有名な著名人が公の場では決して口にできなかっただろう。

当時の右翼、左翼の勢力はよく分からないが、今でいうところの炎上ではきっと済まなかっただろう。

 

明るい行事としての改元

 

しかし、今回の改元は違う。

ネットや街中では皆笑顔で平成最後のイベントや行事に勤しみ、サービス業を営む従業員も声高らかに平成最後と叫び、お客の財布の紐をほどこうと必死になっている。

芥川賞候補にも選ばれた「平成くん、さようなら」でも、最後のページで2019年5月1日を迎えたときに街中で花火が打ち上がる描写がある。

今回の改元は、まさしくお祭りなのだ。明るいビッグイベントになるのだ。

 

 

改元という厳粛な行事を、商業的なイベントとすることは、私は決して悪いこととは思わない。

2011年の東日本大震災が起こったとき、世間では自粛ムードが広がった。

東日本大震災の名の通り、主に東日本を中心に被害が大きかったが、震災の翌日3月12日の九州新幹線の全線開通イベントが中止になるなど、全国的にお祝いイベントは自粛により中止が相次いだ。

当時の石原東京都知事が花見の自粛を呼びかけたのも記憶に新しい。

東日本大震災での一連の自粛の動きには、時が経つにつれて懐疑的な意見が多く出回った。

自粛のムードが漂うことで経済的な損失も計り知れないし、世間の人々の心情的にも気持ちの良いものでもない。また震災をした人々の中からも世の自粛ムードに反発する意見を発する人もいた。

今まで即位された天皇陛下の中でも、おそらく一番国民の近くに寄り添ってくださった平成の天皇陛下のお気持ちを慮ると、崩御によって何十日も日本社会、もとより日本国民が暗い気持ちになるのは、きっと天皇陛下の心外にあたるだろう。

だから皆が笑顔で平成最後を楽しむのであれば、それは少なくとも天皇陛下の御意向に沿えるものではないのだろうか。