今年の秋は葉っぱが赤く色づくのが遅かったり、思ったよりも冷え込みが浅かったり、あまり秋がこちらに顔を向いてくれないようだ。
秋と言えば、なにかと物事と結び付けられる。
食欲の秋、スポーツの秋、芸術の秋、そして読書の秋。
私個人的には、季節に関係なく読書はしているつもりだが、今年の10月、11月はよく本を読んだものだ。
普段は時間の合間合間を縫って、さらに今年はなにかとお堅い本を読んでいるので、一冊読み終えるのにとても時間が掛かる。
しかし、1,2年振りに小説を読んだところ、その平易な文体と内容がすらすらと頭に入っていく感覚に感動を覚えた。
普段の読書でもこれくらいスラスラと読了出来ればいいのだが。
この間久しぶりに地元の友人数人と食事に行った。
「最近、本を読んでいるんだよ。」
外で久しぶりのあいさつを交わし、店の席に着いたあと、友人の一人がすかさず言った言葉だ。
私は驚いた。
彼とは幼少期からの仲だが、本など読むような人種では無い。おそらく今まで読破した本の数は手の指で収まる程度のはず。*1
そのような彼だから、私は驚いたのと同時に感動も覚えた。
詳しく話を聞くと、毎朝カフェに行ってコーヒーを片手に読書タイムを設けているらしい。
なるほど彼の仕事柄、朝には時間の余裕があるから羨ましい限りだ。
おもむろに取り出したのが「人生の十か条」という本だ。
本の詳しい内容は聞けなかったが、どうやら自己啓発系の本を読み込んでいるらしい。
さらに、この席で一緒に食事をしているもう一人の友人と普段から本の貸し借りをしているようだ。
とても羨ましい。私には読んだ本の内容やそれらから波及する情報を一緒に共有できる仲間がいない。
ちなみに、その寂しさから私はいまスマホに「読書メーター」というアプリを入れている。
「読書メーター」とは読んだ本の記録・管理や本から広がるコミュニティを形成できるアプリだ。
とても重宝している。
「最近俺ら人生の話をしているんだよ。」
すごくうれしそうに話す彼を見て一瞬、サイゼリヤで一度しか会ったことのない人に新興宗教の勧誘をされたときのことを思い出したが、本の貸し借りをしていることによって(それが自己啓発本となるとなおさら)彼らの価値観もかなり共有されているようで、最近は会うとよく人生の話をしているらしい。
「まだ俺らは若いんだから、失敗をたくさんしてもいいんだよ。失敗をすることで人生がもっと豊かになる。」
かなりアバウトで論理矛盾していると思われる言葉だが、決して否定は出来ないものだ。
まだまだ私たちは二十代だ。日本の先行きは暗いが、たとえなにかしらの失敗をしても日本で生きていく限り死にやしない。
失敗を恐れてぼそぼそと日々を生活しても、なにも生まれないし、なにも習得できない。
恋人のいない彼らだが、それを負い目に感じることなく異性の話をしても告白失敗談を明るくおもしろく、隠すことなく話していた。
「あいつに告白して振られたんだけど、その日に好きになってその日に振られたんだよね。」
「んん??」
「一緒にドライブしてさ東京タワーについて写真撮ってたら好きになってさ、好きです。って告ったら、ダメだよ~って振られた。」
もっと内容の濃い告白失敗談だったが、簡潔するとそういうことだった。
おそらく他の友人が同じ告白失敗談を抱えていたとしても、ここまでおおっぴらに話してくれることはないだろう。
彼らがここまでおおっぴらに話してくれるのは、失敗を負い目に感じていないからだ。
さらに彼はつづけた。
「告白したらさ、なんかもうどうでもよくなって帰り道に自分のこととか人生のこととかベラベラ話してたら、向こうも人生とかの話が好きだったらしくて、告白する前よりも仲良くなったんだよね。」
これはすごいことだ。
失敗をしたから、失敗を恐れなかったから人生を語り合える友人が一人増えたのだ。
彼のこのエピソードは、まさに失敗は人生を豊かにしてくれることを体現したものだった。
彼は失敗を恐れないことをどこで学んだのか。
それこそ、本なのだ。
本を通して失敗の有益さを学んだ彼は、行動に移し、失敗をし、友人を増やした。
彼のこの話を聞いて感じたことは、本の読み方は人それぞれあるが、一番大事なのは読んだあとのことだということだ。
果たして自分は、本を通してなにか変われただろうか。
本を通して周りの環境が変わっただろうか。
本をただ知識の習得の道具としていないだろうか。
読んだ後を意識しながら本を読むと、また一味違った読み応えが生まれるかもしれない。
私もさっそく行動に移してみようと思う。
今週のお題「読書の秋」
*1:高校生のころにそのようなことを言っていた覚えがある。