たまに友人から先生と呼ばれることがある。
なぜなら、私は意識高い系だからだ。
俯瞰的に物事を観察し、中道的な、または左右両方面からの意見を考え、相談事に対して常に複数の解決パターンを与えてあとは本人の意向に委ねるような先導をする。
女性からの相談事に上記のような話を広げたらきっとモテることはできないだろう。
だが、この私の考え方のおかげで友人からはよく相談事にのることがある。
この自分なりの思考回路にたどり着くためには、常日頃様々な事柄に対して色々と考えを繰り広げる思考訓練をしてきたからだ。
また、政治や経済、ガジェット系の時事ニュースにも友人の中では情報通な方ではある。
面白い人、楽しい人かはさておき、友人たちの間では自分は「色んなことをよく知っている人」という立ち位置にいる。
これは自分でも誇りに思うし、これからもそういった人でありたい。
だが、今の立ち位置を維持するためには、常に変化を求められるということである。
なんでも知っている人になるためには、常日頃からアンテナを張って情報収集に励まなければならない。
誰からも相談をよく受ける人になるためには、一つの悩み事に対して複数の角度から物事を見つめ、その中でその人にとって好ましい意見を言えるような頭の柔らかさがなければならない。
20歳の頃の最先端な情報は、数年で陳腐な情報へとなり下がる。
20歳の頃に言った最適なアドバイスは、30歳の頃に言うと好ましくないアドバイスになっているかもしれない。
つまり今の自分像を維持するためには、その年々に合わせてアップデートをし続けなければ、他人から見た自分は昔と違う人となって映りうるのだ。
それは他人から直接見えることはできない思考だけの話ではない。
容姿の維持のほうがより変化を求められる一つの例ともいえる。
若いころは何もしなくても綺麗な肌を維持できていたかもしれない。
だが、成人して年を取っていくと、何も対策を打たなければシミやしわが増えてくる。
つまり、ありのままの自分でいれば明らかに劣化していくのだ。
今の綺麗な状態を維持するためには、その年相応な自分の姿とは違った変化した状態を作り出し続けなければならない。
また、経済でも同じ話ができるだろう。
日本国内の物価がここ数十年間の間ずっと同じ水準を辿ってきた。
自動販売機で売られる500mlの飲料水はずっと150円のままだ。(最近は160円も多く見受けられるが。)
だが、海外の通貨の価値と日本円の価値を比べたとき、日本円の価値はここ数十年ずっと下がり続けてきた。
日本円の価値を国際的にみて維持するためには、常に経済成長をし続ける必要があったのだ。
維持するとは常に変化し続けると同義であることは明らかであろう。
維持をする、これの意味を見間違ってしまっては、数年後に痛い目を見ることになる。
常に変化をすることに恐れないような自分であり続けていたいと思う。