「あなたにとってインターネットとはどんな存在ですか?」
はてなブログのトップ画面を開くとすぐに飛び込んできたこの言葉を愚直に考えみた。
インターネットは、自分にとって友人であり、先生でもあり、ときには悪友でもあった。
初めて自分から能動的にインターネットに触れたのは、小学生半ばの頃だった。
その頃世の中で流行っていたのが、GREEやモバゲーといったひと昔前のSNSだ。
はてな界隈の方々に比べたらとても浅いインターネット歴だと思うが、それでもインターネットと自分は切り離せられないほど、自分の人格形成に大きく影響を与えてもらっている。
小学生から中学生の間は、インターネットを通じて多くの友人を作った。
モバゲーで同学年の小学生が集まるサークルに加入し、そこでたわいもないことをよく話した。
直接会ったこともなければ、顔も見たこともない(推定)同い年の彼らは、アバターを通して話しているととてもカッコよく、少し大人びた言葉回しに憧れも抱いた。
今思い返せば、彼らのカッコよく見えていたセリフや言葉回しは、少し時期の早い頃に発症した中二病の症状だったのだろう。
その影響もあったのか、自分も学校の中では少し大人びて見えていたと今の友人は語ってくれる。
また、インターネットがあれば友人という存在も国境を超えることができた。
スマホを手に入れた中学生の自分は、全世界の人々とつながることもできるアプリを通じて、韓国やオーストラリアの人たちと文通まがいの交流もあった。
スマホで歴史の"真実"に触れてしまい、ネトウヨになりかけていたタイミングで韓国や多くの海外の人々とつながることができたのは、自分にとってとても良かったことだと思う。
おかげでネトウヨにならずに済んだ。
高校生になってからは、スマホゲームで遊ぶことも多くなったが、受験では先生にもなってくれた。
まだ自分が受験生の頃は今ほど洗練された学習アプリやYouTubeに質の良い動画教材はあまりなかった。
しかし、それでも簡素な英単語アプリやリスニング対策用のポッドキャストが存在してくれたおかげで、自分の受験勉強の助けにもなってくれた。
ただ正直、すきま時間にスマホで勉強は危ない。
少し指をタップさせれば楽しい楽しいYouTubeが見れるのだから。
すぐにインターネットは楽しいことへと誘う悪友になってしまう。
晴れて大学生になってからもインターネットは先生として付き合ってくれた。
通学中は英語のNHKニュースを聴き、スマホで課題をしたり、インターネットはまさに学習のためのツールとして使い倒した。
だが、大学生にとってインターネットとは、自らのパリピ具合を周りへアピールするための道具へとも成り代わった。
Twitter、Instagramでは自分がいかに学生生活を楽しんでいるのか、どれほど学生らしいバカなことをしているのか、皆が争うようにストーリーを上げる。
自分ははじめその承認欲求の塊を見るのが嫌で、Instagramはスマホにインストールしていなかった。
そんなに自分をアピールしてなにになるんだ...
数か月後、Instagramをインストールしている自分がいた。
日常に現れる一瞬の輝きをカメラに捉え、デコデコに加工した写真をウィットに富んだコメントと一緒にストーリーにあげる。
まさか自分がそんなことをするようになるなんて...
これはまさに悪友にタバコ吸ってみろよと言われてしぶしぶ吸うものの、気がつけば自分も立派なスモーカーへとなってしまうアレだ...
しかし、今はもうそんな承認欲求は無い。ほどほどにSNSと付き合っている。
社会人になった今、インターネットはより混沌なものとして目に映る。
正しくリテラシーを持って付き合えば、自分にとって楽しく、そして幸福になるものとして使うことができる。
しかし、自分の怒りや欲望だけの気持ちで付き合うと、インターネットは自分の思想や気持ちを悪い方へと導く悪友となってしまう。
インターネットに書かれているものが何が正しくて正しくないのか、その指針が上手く見えない中、自分は今までインターネットで培ってきた経験を基に上手く付き合ってきたい。
はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」