けろけろの考えごと

無駄な思考もいつかは再利用できると信じて

SNS上で成長を求めすぎる若者

 

こんにちは。

 

フミコフミオさんの記事、シロクマ先生の記事両方に目を通して、現役の若者としては、まあ分かる。という感想が自然と口から漏れました。delete-all.hatenablog.com

p-shirokuma.hatenadiary.com

 

フミコフミオさんの記事では、今どきの若者はみなスキルアップに必死になりすぎているとの意見が綴られています。

シロクマ先生はその背景として

  1. 成長に必死にならなければ生きていけない
  2. 成長に必死なフリをしなければならない
  3. 成長で必死になっている人が目に付き付きやすい

の3つをあげています。

 

 

SNSに居座る成長したい友人

 

現役の若者である私の率直な意見としては、シロクマ先生の3つ目の背景が一番しっくりくるなと思いました。

たしかに現役の若者である私の周りには、スキルアップに勤しむ友人が少なくありません。

インスタを開くと、頑張っている自分をストーリーにいそいそと上げている友人で溢れる日もあります。

いきなり余談ですが、Twitterに関しては、最近はみなインスタに移行したため、ほとんどの人があまり呟かない状態になってしまいました。友人曰く、フォローした人のツイートは見ている模様。

 

ですが、インスタでは頑張る自分をあげる人が多いものの、私が定期的に会っている友人たちを見るとそれほど必死な様子は見えてきません。

その友人たちも、スキルアップに勤しむ他の友人たちを見て自分もなにかしないと…と焦っている様子は感じ取れます。

 

フミコフミオさんの記事では、一番初めに「僕の狭い観測範囲の話」と前置きを書いていることから、おそらくフミコフミオさんの会社の部下や、普段見ているSNSからそう感じ取れたのかもしれません。

そして自分もなにか行動をしなければと焦る私の友人も、成長に必死な若者を主にSNSを通して見る機会が多いのです。

つまり、フミコフミオさんと友人は同じツール、SNSから同じ成長に必死な若者を見ています。

そう、SNSには成長をしたい人たちで溢れているのです。

しかし私のナマの目線から周囲を見渡すと、その焦る友人と同様な、目標が定まっていない、成長する方向性も分からない友人が多く目に付きます。それはいわゆる類友というやつなのではという意見は無視

 

成長が拡散されるSNS

 

主にSNSでは、シロクマ先生が仰っているように声をあげる者、プレゼンテーションをする者が目立つものです。

Twitterやインスタ、Facebookで「今日なにもしてない...」と呟く人よりも「今日は六本木で○○先生のセミナー行ってきた!○○先生の言うことほんま全部タメになる!起業をしたい人を応援するいうてるから俺も頑張る!!」みたいなことを呟く人のほうがリツイートがされやすいし、いいねも貰いやすいのです。

そして不特定多数の目に届くのも後者の呟きです。

 

 

おそらく近い将来、今の時代を顧みたときに私の友人のような焦るだけでなにもしてない人は、存在しないのも同然の扱いがされるでしょう。

いずれ若者総努力家時代と言われるかもしれません。

 

細分化は悪いことだけではない

 

そしてもう1つ、若者としての意見として。

フミコフミオさんの記事の最後のほうでこう綴られています。

(今の時代は)より細分化・ニッチ化して、いってみれば難しく、複雑で、わかりにくい世の中になっている。そこで求められる成長や結果も難しく、わかりにくくなっている。(略)僕が最近の世の中に感じるのは、昔の価値観で若い世代へ結果を求めることへのギャップと、分かりにくくなった世の中でわかりにくい成長を求められている若い世代の生きにくさである。わからないから、わかりやすいものに飛びつくのだ。成長、成長、成長と。

冒頭の括弧は私がつけました。

 

たしかに今はさまざまなコンテンツが細分化されてどの方向に努力を、成長をすればいいのか分からなくなっている、とよく言われています。

ですが、逆に考えればコンテンツの細分化は成長をしたい方向性をより具体的に示してくれるものと思えないでしょうか。

さらに今は昔に比べ男女平等が進んでいるため、特に女性にとってはスキルを上げたい分野の幅が広がってきたといえるでしょう。

 

たとえば医師という1つの職業がありますが、医師の中にも内科医や外科医など分かれていて、さらにそれを支える看護職や技師が存在します。

医師と同じように、今はさまざまな分野で細分化が進んでいて、それぞれに明確なスキルが明示されているため、特定の分野に進みたい、成長したい人はそのスキルを身につけることに必死になれば良いのです。

 

つまり、今までよりも成長したい方向性が見つけやすくなった。そしてSNSでも同じ成長したい方向性の人も探しやすく、見つけやすくなった。だからSNSで成長に必死な人たちがよく見受けられるようになったのではないかと思います。

 

成長を求めすぎる若者を止める大人はいるのか

 

SNSを覗けばいつも誰かしらが成長を求めています。成長する自分を記録するかのように日々活動報告を上げる人もいます。

そしてそれをフミコフミオさんも私の友人も嫌でも見ることになるのです。

特に私の友人や私などは、同年代の人がSNSに成長する姿を載せてるのを見ると自分まで急かされる気になってしまいます。

ですが、私個人的には積極的にそのような姿を見たくありません。

時には心も休みたいときがあるのです。

誰か私たちよりも大人な年代な人が、この成長を求めすぎる風潮を和らげてくれることを心の奥底では願っています。